【つくりて紹介】上野焼 庚申窯:髙鶴裕太が継ぐ伝統と革新11年の軌跡

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上野焼 庚申窯・髙鶴裕太が継ぐ伝統と革新 11年のストーリー

こんにちは。
今回のつくりて紹介は、上野焼(あがのやき)の窯元・ 庚申窯(こうしんがま)の高鶴裕太さんについて。

福岡県福智町にある歴史ある窯元「庚申窯」。
1971年に高鶴智山氏によって築窯され、翌1972年から営業を開始しました。

この記事では、その伝統を受け継ぎ、11年にわたって作陶に励む三代目の高鶴裕太さんの家業への想いと創作への情熱をお届けします。

窯元の歴史と、家業を継ぐまでの道のり

引用画像:公式HP

上野焼本筋の窯は、明治時代に一度途絶えた歴史があります。
その後、地元有志によって復興が試みられ、1938年には高鶴萬吉の弟・鱗作(号は高鶴城山)が窯を築き、翌年から製陶を開始。
その後、城山氏の末子であった智山氏が1971年に庚申窯を築き、現在へと続く歴史が始まりました。

裕太さんは、実家が窯元だったものの、当初は家業を継ぐつもりはなかったと言います。
ただ、大学時代に進路を考える中で、絵を描いたり、ものづくりをすることに喜びを見出し、創作活動が「自己表現」として充実感をもたらすことに気づかされました。
収入よりも時間に余裕のある生活に魅力を感じたことも、家業を継ぐ決断を後押ししました。

父である享一さんは、息子が戻ってきたことに嬉しさを感じつつも、心配な気持ちもあったそうです。
しかし、今では店内には裕太さんの作品が増え、三世代にわたる創作活動が続いています。

伝統と革新の融合:薄作りと新たな表現

高鶴さんが生み出す作品には、先代から受け継がれた技術が随所に活かされています。
特に、陶芸の基礎となる技法や、代々使われてきた釉薬は今も大切に使われています。
これらの伝統的な釉薬と、新しいデザインの形を組み合わせることで、思わぬ発色や表情が生まれることもあるそうです。

「薄作り」は、上野焼の大きな特徴です。
元々、江戸時代の小倉藩で使われるための器として、口当たりや使い心地を追求して薄く軽やかに作られていました。

裕太さんの作品は、その薄さが際立っており、その軽さから海外の方からも高く評価されています。
また、高台についた釉薬を一つずつ拭き取るなど、細かな部分まで「使いやすさ」を心がけているといいます。

高鶴さんは、常に新しい表現を模索しています。
特に注目すべきは、釉薬で仕上げた黒いシリーズです。
この作品は上野焼の土を使いながらも、独特の薄さと質感を両立させています。


さらに、最近は「薄作り」を活かし、過去に制作したデザインをシリーズ化する計画も進行中です。
それは、黒いシリーズとは対照的な釉薬を使わず土の質感を活かしたベージュ色の作品。
形はそのままに色のバリエーションを増やすことを考えているそうです。

薪窯への情熱と未来への展望

最近は電気やガスの窯を使うことが多いそうですが、高鶴さんは今後、薪窯での制作に力を入れていきたいと語ります。
薪窯で焼かれた作品は、思いがけない表情を見せることが多く、一つとして同じものができない「一点もの」となります。
この時間と手間がかかる挑戦に、陶芸家としての情熱を燃やしています。

また、作品を気に入ってくれたお客さんから「昔作った器を今でも使っています」といった言葉をもらった時も、やりがいを感じる瞬間だと言います。

裕太さんの新しい取り組みで生まれる作品も期待したいですね。

釉薬の色や流れによる唯一無二のデザインのうつわを食卓へ

ここで、裕太さんの作品の一部を紹介します。
裕太さんの作品の特徴は、釉薬の色や垂れによって生まれる唯一無二の美しさ。

写真の小鉢は、底にたまった釉薬の色合いがユニーク。
食事をする度に、どんな色が現れるのかが楽しめるのもいいですね。

次に紹介するのは、深みのあるブルーのパスタプレート。
○○色と表現するのは難しい、独特のブルーのうつわは、絵画のような美しさ。
珍しい色ですが、ブルーは食材にはない色なので、何を盛り付けても様になり、使い勝手がいいのです。

個性的でありながら、毎日の暮らしになじむうつわは、食卓にちょっとしたアクセントをプラスしてくれます。
サラダや煮物など、ふだんのおかずが見違える裕太さんのうつわを取り入れて、日常生活を楽しんでみませんか。

庚申窯・高鶴裕太さんについて
【経歴】
1991年生まれ
2013年横浜国立大学卒業後 実家の庚申窯に入る
趣味は庭になる果物でのジュース作り。
今後庚申窯をよりカオスな場所にしたいと考えているそう
公式HP:https://aganoyaki.net/

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